僕は今 東北出張を終え 東京行きの 新幹線の中
走り出す「はやぶさ」の窓から 通り過ぎる 福島の街を見てる
先の震災から2年半が過ぎようとしている東北福島、取り分け今回の出張の拠点となった福島市内は、普段通りの社会生活を営んでいるようではあるが、未だに原発事故影響下の地域からの避難者用仮設住宅が点在し、帰郷の目途はいつになるか知れない。
市内の小さな公園にさえ放射線測定器が設置され、住民に逐次その情報を知らせている。8月暑さの盛りに、駅前から少し外れた草むらのある用水路付近では、4~5人の作業者と小型重機によって「除染」作業が繰り返し行われている。
地元の方に、それとはなしに震災当時の話を振ると、まるで何気ない世間話の様に穏やかに語り始める。 その時、皆一様にまず自分の身の安全を心配し、次に家族の心配をし、そして住む家の安全を心配する。ライフラインが回復した後でも、日々の生活が不安になり、その後は今の仕事が続けられるか不安になり、そして漠然とした将来への不安が今も残っているという。
脚色のない生の声で淡々と語られる言葉には、それ相応の重みを感じる。震災を体験された方を間近に接することで、テレビや新聞などの情報には載らない普通の人々の姿を見ることができた気がする。
考えてみると今までの僕は、日々の生活や社会に対して、いつも文句を付けながら生きてきたのかもしれない。それでも今回少しの間だけ被災地で過ごしたことにより、自分達はまだまだ恵まれた環境で生活できているのだと感じる。改めて、今まで以上に誠実に、そして謙虚に生きて行こうと思う。
振り返ると、4ヶ月半の出張は、生活面でも仕事の内容も過酷で、大切なものを少なからず犠牲にしてきたが、今後もう少し生かされるならば、その為の必要な経験だったと思うことにしよう。
そんな事 考えているうちに 我が家へ向かう 車の中
携帯電話の 電源を入れながら 窓の外の タワー43を見てる
相も変わらず 胃の調子が今日も良くないが
心には いつも HEAVY GAUGEを 忘れない
「僕のギターにはいつもHEAVY GAUGE」 長渕剛 (1983)
「東北跋渉記」 (完)►►►
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