2013/02/26

PSM雑感 ~20分の6の軌跡~


   いよいよJ2リーグ2013シーズンの開幕1週間前、京都サンガF.C.とのプレシーズンマッチに参戦。


   寒い寒いメモリアルに朝9:30入りである。強風の中、屋台村は鋭意準備中である。


   今日だけはメインスタンド中央に席を取る。公式戦で言うところの「スーパーシート」に座れる数少ないチャンスである。


   ピッチに出てきたのはgol.ブランドのトレーナーを着たデジィ#3、ラテンのリズムが聞こえてきそうである。


   ギフカラーの練習着はこちら。緑と黄色のバランスが絶妙である。




   京都サポーターのみなさん、岐阜の寒さだけは京都に負けません!


   今シーズン最初の動画は、PSMのスターティングメンバー発表から選手入場までを。いよいよ開幕間近である。




   ゲームの内容について、最終的にスコアレスドローに終わるのだが、1対1での球際に強い所や、何度かあった攻撃のヴァリエーションなど、戦える集団になった印象を受ける。

   心配な点を上げるときりがないが、ゲームを重ねる中で解消してさらにスキルアップしていくことを願いたい。


   来週はいよいよ開幕!、今日より暖かいメモリアルで、内容のある「楽しい」ゲームを観戦したいものである。

   Jリーグが開幕して今年で20年目、その中でギフは6年目のシーズンを迎える。そろそろ地域に根付いた存在として認識されたとしてもいい頃だろう。




   ガンバレFC岐阜!、ギフの力みせてくれ。



2013/02/21

FOR THE NEXT GRADE


   今週は、FC岐阜にとっての大きな動きがあった。

   手薄とされたFWに、ファビオ#9とレモス#22の新加入が発表された。開幕間近のこの時期に二枚の補強が間に合ったのは僥倖である。

   ただ、サッカーはその国籍だけで評価されるわけではないので、何より結果が求められるのだが、前所属クラブの履歴をみると存分に期待していいと思う。


   そして、一日千秋の思いで待ち続けたユニフォームスポンサーが遂に発表された。

   メイン(胸)スポンサーには、ヒマラヤ様が地域リーグ以来の復帰である。県内最大手のスポーツ用品店だけに理想的なスポンサードであり、まさに真打登場である。 背中のスポンサーには、KCカード様が契約された。恐らく契約に至るまでにはいくつかの複雑な状況をクリアする必要があったと思われるので、関係者各位のご尽力に最大限の敬意を払いたい。 袖スポンサーの、コパン様は引き続きのご契約となり、パンツのスポンサーには、アクティブ-G様が新規契約いただき、これで4箇所すべてのサポーターが決定する。

   今シーズンのスポンサー発表について、この成果をもってすれば、些かオフィシャルサイトの更新が滞っても、大いに寛容となれよう。


   次の段階にグレードアップしたFC岐阜、2月20日の練習は冷たい雨と北風の中、更なる高みを目指し選手全員の声が北西部グランドのピッチに響き渡っていた。


   ガンバレFC岐阜!、ギフの力みせてくれ。



2013/02/16

二部練参戦


   2月13日、別府キャンプを終えたギフはホームでの練習を再開する。

   朝、薄っすら雪の積もる北西部グラウンドでは、芝での練習を回避しランニングに終始した。写真はデズモンド#3と並走する未登録の外国人選手のようだ。(よって、画像を加工しています。)


   午後からは、場所を移し各務原での練習となる。天候は回復したが冷たい風が吹き抜ける中、フィールドプレイヤーを2チームに分け、濃密な戦術の擦り込みとその反復練習を繰り返し行っていた。


   今回の1分間動画は、風を切る音と各務原空自のF-15J(イーグル)と思われる爆音の中で人工芝ピッチを駈けるイレヴン。




   尚、笠松の岐阜フットボールセンター(仮称)の進捗状況、ナイター設備が設置されて、アスファルトでの舗装が完了していた。





2013/02/02

今、東北へ行くということ。(序)


   2013年1月某日。東京駅の東北新幹線ホームに立っている。今回の出張では「やまびこ号」に乗って初めて福島県を訪れる。


   関東以北は殆ど行ったことはないが、先の震災以降、何らかの形で東北地方へ行く機会を作るべきではと感じていた。

   例えばFC岐阜の東北地方クラブとのアウェイ戦遠征もその一つの選択肢であったが、先んじてこの機会が与えられた。


   今日の「福島駅」は何年ぶりかの大雪。我々岐阜の人間でも、東北は雪国のイメージがあるが、それは(むし)ろ日本海側が中心で、ここ福島市は年に数回降雪はある程度で、積雪数センチになることは滅多にないとのことだ。

   この地域は東北の入り口であり、どちらかと言えば「北関東」エリアと言えなくもない・・・。とは、地元の人の弁である。


   「3.11」、とりわけ津波の被害が甚大となった太平洋側の「浜通り」(地元の人は単に“ハマ”と呼ぶ)に較べて内陸部の「中通り」に位置する福島市内は、「国道4号線」を流すタクシーから見る限り既に震災の影響を見かけることはない。((もっと)も、折からの雪にかき消されているだけかもしれないのだが。)


大きな地図で見る

   そして、この日奥羽山脈を越えた「会津地方」は更なる豪雪に見舞われたようである。福島県も岐阜県の様に取分け面積の広い都道府県の一つである。


   数時間の滞在後、交通機関が雪に閉ざされる前に東京へと戻り、乗り慣れた(?)「東海道新幹線」で、岐阜には遅い帰宅となった。

   雪解けの頃、春にはまた訪れることになるかもしれない。


   「今、東北へ行くということ。」 続く►►►