2015/01/15

2015シーズン始動! ~ラモス岐阜、2年目の始まり~


 FC岐阜の2015シーズンの始動日が1月21日と発表された。13日に契約満了となった三都主アレサンドロをブラジルに送り出したのを待つように、14日にはブラジル国籍のFW、ロドリゴ(Rodrigo Bonifacio Da Rocha)選手の新加入を発表した。

 更にはJリーグから開幕カードの発表があるなど、いよいよ2015明治安田生命J2リーグがスタートする。

 さて、2年目となる「ラモス岐阜」、昨シーズンほどのセンセーショナルな状況とはならないとしても、その分新チームの基礎構築に集中出来ることだろう。

 沖縄キャンプ・宮崎キャンプと昨年より1クラス上のプレシーズンで、新チームの連携強化を図り、より上位を狙えるチームに磨き上げていただこう。


 今年もFC岐阜と共に走り続けよう!



2015/01/09

10周年の観戦記へ



 2005年から追い続けてきたFC岐阜の観戦も、今年で10周年を迎える。いつの間にか、こんなに長い時間が過ぎたようだ。

 10年前、FC岐阜を知るきっかけとなったのは、家族に教えて貰って、ケーブルテレビ局CCNで地元のサッカーチームを応援している1コーナー番組を見るようになってからである。元々日本代表のゲームを中心にサッカーが好きで、代表戦はよく録画してまで観ていた。Jリーグ開幕後は、当時は取り敢えずの地元であった名古屋グランパスエイト(まだエイトがついていた頃の事)のゲームをたまに観戦に行くことがあった。

 その後は、当時旧JFLに所属していた「西濃運輸」がプロ化してJリーグに加盟してくれるのではないかと期待しながら、周りにはクラブ名が、“水の都”大垣に因んで『大垣アクエリアス』がいいんじゃないかと嘯くほどであった。結局実現することはなかったが、長い空白期間を経て“岐阜”の名を冠するサッカークラブの存在することを知れば、必然的に応援することになり、そしてのめり込むことになる。思えばFC岐阜の黎明期の映像媒体は、ほとんどCCNのソースに頼っていた。
 今では伝説となっている口論義の奇跡を持ち出すまでもなく、飛躍的に成長を続けるFC岐阜は、2005年当時の「東海社会人リーグ2部」(J5相当)から毎年のように昇格して行くことになる。

 
(2006年6月4日撮影)


 そして、エポックメーキングとなるのが、森山泰行氏の「Jへ」の発言と、その後の今西和男氏のフロントへの招聘による積極的な働き掛けが、夢を現実のものにする。旧未来会館での今西さんによるJリーグ加盟会見は今でも忘れる事が出来ない。それ以降、FC岐阜には明るい「未来」が待っていると誰もが信じていた。
 しかし、メジャーなスポンサー企業に頼らないFC岐阜は、常に経営難と背中合わせであり、練習環境の整備が追い付かず、充分な補強や計画的な選手育成がままならないまま低迷期に陥る。

 そんな中、潮目が変わったのが2013年の終わり、有力スポンサーと官民の結束により経営難解消の目途が立ち、上昇の兆しが見えて来る。そしてブレイクスルーした革新2014年に続き、今、2015年シーズンが始まろうとしている。

 FC岐阜によって、家族共々、長良川競技場に新しいコミュニティが出来て、仲間が増えた。予期せぬ旧友との再会や、このブログを開設する羽目にもなった。何か夢中になれるものがあることは、人生に於いて必要不可欠でなる。
 行き過ぎた表現をするなら、今では生きる糧の一つにさせて貰っているFC岐阜、これからの10年も新しいエンブレムと共に長良川競技場というTHEATRONで応援し続けて行こうと思う。
 

2014/12/23

今更に総括2014 ~ラモス岐阜の通信簿~


  何かと期待値が高まった中で始動した2014年シーズンは、開幕前から我々サポーターでさえも戸惑うほど加熱状態であった。

 予想外のメジャーな新監督の招聘や、代表経験のある有名ベテラン選手など、数多くの補強を成し遂げたギフは、地元のみならず、全国的に耳目を集めるところとなった。
 

 開幕2連勝という順調なスタートや、観客動員数の劇的な増加、更には地元の某プロ野球チームの中継を上回るテレビ中継が行われるなど、関心度は一過性に終わらない。

 ラモス瑠偉新監督の選手起用は、ベテランと若手の融合を掲げ、それは一定の評価を上げたと言えよう。ただ、主要選手の怪我による離脱の多さは、昨シーズンのそれに似ている。練習環境がその要因の一つであるとすれば、「J1チャレンジ」というプロジェクトが、やがてその解決策を導いてくれることになるだろう。

 そして、成績面では、さすがに新チーム1年目で去年の21位から10位以内にジャンプアップする結果を残すためには無理があったようだ。新加入の得点源となったナザリト#9や難波#24の活躍は目を見張るものがあったが、その反面、ディフェンスの主軸メンバーが固定出来ず、急場凌ぎの4バックは幾つかのゲームを台無しにした。
 

 今年はクラブチームの大改革と同時に、フロント陣の改革も急ピッチで行われたシーズンであった。最終的な赤字決算にはいささか閉口するものではあるが、恩田新社長の卓越した経営手腕と絶妙なバランス感覚で2015年シーズンも乗り切っていただこう。

 そして、その時こそ、今まで夢物語でしかなかったJ1という重い扉が遠くの霧の向こうに微かに見えてくるのである。

 夏場のウインドー(第2登録期間)での補強が思いの外、効果的ではなかったことが、後半の成績低迷にも繋がったようだ。監督の意向が全て選手に浸透しているわけではないかもしれないが、一つでも上を目指すために、それでも精神論じゃなきゃダメな部分と、精神論だけでは通用しない部分を見極めて組織的に補強する必要があったのかもしれない。
 

  今シーズンのギフを見てきて一つ言える事は、既存からの変化が求められる時や、変わらなけれならないと決めた時には、決して中途半端ではなく、とことんまで変わることが、時として必要なのかもしれないということである。変化に伴う不確定要素は多々あるが、きっといつかは道が拓かれることだろう。

 2015年シーズンもラモス体制、恩田体制のギフに期待せずには居られない。
 




 FC岐阜を愛する全ての人達にメリークリスマス!

 

 



 


2014/11/06

ギフトピックス ~2014秋~


   よく晴れた11月の朝、北西部での公開練習に参戦。


   ここに来て、一気に増えた『ぎふJ1チャレンジ!』の署名数、一応の目標値である10万人に間もなく到達する勢いである。

   また、それを待たずに、岐阜市が来年度にも北西部運動公園敷地内にグラブハウス建設を含めたFC岐阜を優先とするサッカー場練習施設を整備する意向であることを地元紙各社が一斉に報じた。


   既に発表済となっているが、岐阜県が長良川競技場の観客席の増設に向けた予算計上を行うニュースなど、ギフの「J1ライセンス」取得に向けた動きが、我々サポーターが望む理想のシナリオ通りに着々と進行中である。


   そんな中、次節11月9日のアウェイ栃木戦は「笠松競馬場」でのパブリックヴューイングが予定されいる。


   昨シーズンまでのPVと言えば、マーサ21の「1Fマーサスクエア」と相場が決まっていたが、今シーズンに入って岐阜市内では「長良川うかいミュージアム」や「岐阜市民会館」「アクティブG」など、そして大垣市では「大垣市情報工房」、更には高山市まで遠征して「飛騨・世界生活文化センター」と、その活動域を徐々に拡大してきた。

   こうしたクラブスタッフの地道な営業活動が、やがて大きな力となってJ1を目指すギフの後押しとなるだろう。


   最後は1分間動画、勝利こそ逃したが、前節の雨の中で貪欲にゴールに迫るイレヴンとナザリト#9の得点シーンをお届けする。今やナザリトは我々に残された最後の希望の光である。。




   2014 ラスト3ゲーム、岐阜と共に闘い、前に進もう!




2014/11/02

11/1_vs大分 そして、4連敗。


   昨夜から降り続く雨が、殊の外メモリアルのピッチ状態に悪影響を及ぼす中、プレイオフ圏内の大分を迎えてのホーム戦、長良川競技場に参戦。


   序盤からボールコントロールに苦慮するギフを尻目に、大分がまんまと先制点を上げる。

   FM ラジオでは解説者の小島伸幸氏がギフ贔屓の解説をしてくれていると言うのに、ホームのピッチがホームのチームに味方しないのは何とも合点が行かないものである。


   後半、徐々にゲームを作れる様になった中で、ナザリト#9の同点ゴールで更に勢いに乗るはずだったのだが・・・

   ちぐはぐな攻守で、立て続けに2点を献上し、瞬く間にゲームを台無しにする。

   しかし、そんな中でのナザリトの2ゴール目は、我々に残され最後の希望の光である。

   そして、FC岐阜は今シーズン最悪の4連敗を記録した。


   折しもこの日、J2リーグは新たにJ1昇格クラブとJ3への降格クラブが決定した。

   これ程まで早くカターレ富山が降格となり、これ程まで見事に松本山雅FCはJ1へと旅立った。

   よって、ギフがまだ今西体制下だった2012年にスタートした「トップオブ北アルプス」のダービーマッチは今シーズンをもって、事実上消滅することになる。

   ただ一人、J2に残されたギフは、来季を見据えて残りのリーグ戦を全力で戦い抜いて貰いたい。


   岐阜と共に闘い、前に進もう!