2005年から追い続けてきたFC岐阜の観戦も、今年で10周年を迎える。いつの間にか、こんなに長い時間が過ぎたようだ。
10年前、FC岐阜を知るきっかけとなったのは、家族に教えて貰って、ケーブルテレビ局CCNで地元のサッカーチームを応援している1コーナー番組を見るようになってからである。元々日本代表のゲームを中心にサッカーが好きで、代表戦はよく録画してまで観ていた。Jリーグ開幕後は、当時は取り敢えずの地元であった名古屋グランパスエイト(まだエイトがついていた頃の事)のゲームをたまに観戦に行くことがあった。
その後は、当時旧JFLに所属していた「西濃運輸」がプロ化してJリーグに加盟してくれるのではないかと期待しながら、周りにはクラブ名が、“水の都”大垣に因んで『
大垣アクエリアス』がいいんじゃないかと嘯くほどであった。結局実現することはなかったが、長い空白期間を経て“岐阜”の名を冠するサッカークラブの存在することを知れば、必然的に応援することになり、そしてのめり込むことになる。思えばFC岐阜の黎明期の映像媒体は、ほとんどCCNのソースに頼っていた。
今では
伝説となっている「
口論義の奇跡」
を持ち出すまでもなく、飛躍的に成長を続けるFC岐阜は、2005年当時の「東海社会人リーグ2部」(J5相当)から毎年のように昇格して行くことになる。
(2006年6月4日撮影)
そして、エポックメーキングとなるのが、森山泰行氏の「Jへ」の発言と、その後の今西和男氏のフロントへの招聘による積極的な働き掛けが、夢を現実のものにする。旧未来会館での今西さんによるJリーグ加盟会見は今でも忘れる事が出来ない。それ以降、FC岐阜には明るい「未来」が待っていると誰もが信じていた。
しかし、メジャーなスポンサー企業に頼らないFC岐阜は、常に経営難と背中合わせであり、練習環境の整備が追い付かず、充分な補強や計画的な選手育成がままならないまま低迷期に陥る。
そんな中、潮目が変わったのが2013年の終わり、有力スポンサーと官民の結束により経営難解消の目途が立ち、上昇の兆しが見えて来る。そしてブレイクスルーした革新の2014年に続き、今、2015年シーズンが始まろうとしている。
FC岐阜によって、家族共々、長良川競技場に新しいコミュニティが出来て、仲間が増えた。予期せぬ旧友との再会や、このブログを開設する羽目にもなった。何か夢中になれるものがあることは、人生に於いて必要不可欠でなる。
行き過ぎた表現をするなら、今では生きる糧の一つにさせて貰っているFC岐阜、これからの10年も新しいエンブレムと共に長良川競技場というTHEATRONで応援し続けて行こうと思う。